新著「はじめに」全文と目次
前著『腸と森の「土」を育てる』の出版から5年。
この5年間、東京から鳥取県江府町・奥大山へ拠点を移し、医師として、またプラネタリーヘルスの実践者として現場で奮闘しながら、都市とローカルの関係を問い続けてきました。
本書は、その実践とそこから得た洞察をまとめた一冊です。
「はじめに」と「目次」を公開します。
nichtöneの世界観にご共感頂けたら、ぜひ、ゲートをくぐって下さい。
はじめに
「あなたは、いつ、土に触れたでしょうか」
そう問われて、すぐに思い出せる人は、そう多くないかもしれません。
四方をコンクリートに囲まれ、画面越しに世界とつながる。そんな日常が当たり前となっています。
本来、人は、この身体を使い、土が育んだ食べものを食べ、山が育んだ水を飲み、森が吐く空気を吸い、微生物とともに生きる、ひとつの生命体です。しかし、人のためだけに最適化された暮らしのなかで、その当たり前のつながりは見えにくくなりました。
私はコロナ禍のころ、六本木に近い都心に暮らしていました。
しかし、ステイホームでひと気がなくなった都市は、「死んでいる」と感じました。
少々の街路樹や緑地はあっても、人以外の生態系に乏しい都市のビル群では、人の活動が停止することで、生命活動が停止したように見えたのです。
もちろん、人がつくる人工物も、自然資本からもたらされる恩恵には違いありません。生命原理に則れば、循環し、代謝する「生きた都市」の構築も可能なはずです。でも、既存の都市は、人の活動を除いてしまえば、ほぼ、「生きている」とは感じられません。
ひと気のないブランドショップ街が、とても虚しく感じました。
「生命が歓ぶ豊かさとは、何だろう」――そんな問いが生まれてきました。
コロナ禍をきっかけに、都市農園で畑を始めた人、自然環境のなかに頻繁に出かけるようになった人、また、働き方が自由になり、地方に移住する人も増えました。そこにAIの登場が重なり、流れを加速させています。私自身も、その一人です。
* *
今、世界的に、「土」に戻る動きが広がっています。
シリコンバレーでは、大自然のなかで過ごすリトリートや、ウェルネスプログラムに通う起業家が増え、パンデミック以降、都市部のビジネスパーソンのあいだでも、自然環境での滞在や移住を選ぶ動きが見られるようになりました。
Global Wellness Instituteによると、世界のウェルネス市場は、5兆ドルを超える規模にまで拡大し、なかでもウェルネスツーリズムは、一般的な観光を上回る成長を続けています。さらに、2022年のトレンドとして、「soil-focused wellness」、つまり「土に焦点を当てたウェルネス」への関心を取り上げました。
この動向は、ただの旅行需要だけでは捉えられません。
自然から切り離された身体を、もう一度、生命の循環に戻そうとする動きです。
つまり今、人の健康や幸福にとって、「どこで、どのように過ごすか」という環境そのものの価値が、あらためて見直され始めているのです。
そうしたなかで、AI時代にもっとも希少なのは、デジタルで再現できないもの、つまり「身体で感じる経験」であり、また、それが自然からもたらされることに、多くの人が気づき始めています。
近年の医学研究では、自然との接触が、血圧や血糖値、メンタルヘルス、認知機能まで、心身の健康に好影響を与えることが、次々と示されています。週に120分以上自然に触れる人は、健康度が約1・6倍高いという報告もあります(*1)。
逆に、現代人の慢性的な不調の背景には、「自然欠乏症候群」があるともいわれています。
人の健康も、心の豊かさも、暮らしも、経済も、私たちのすべては、自然からの恩恵の上に成り立っているのです。
* *
「〝金融資本主義における成功〟と〝幸せ〟は、ときに反比例する」
高収入、社会的評価、便利な都市生活、衛生管理された高層ビルの中の暮らし。
私たちは、それらを手に入れれば、健康で、心から満たされた人生に近づけるはずでした。
ですが、身体の奥から満たされる感覚を、最後に覚えたのはいつだったでしょうか。
土から切り離された暮らしのなかで、私たちはいつの間にか、自然を「生命を生かす大きな働き」ではなく、「所有し、管理し、利用する資源」として扱うようになりました。
しかし、お金や所有では満たされない「何か」があります。
それを取り戻す入り口に、「土に触れる」ことがあります。
本書は、前著『腸と森の「土」を育てる』(光文社新書)を上梓してからの、私自身の約5年間の実践と洞察を、すべてまとめ上げたものです。
コロナ禍での鳥取への移住を踏まえながら、身体を張った奮闘の結果、時代の大きな転換とともに、私の価値観も大きく転換し、これまで見えなかったことも見えてきました。
大山という名峰の見守る流域に残る「大山さんのおかげ」という精神文化。そのなかにある、自分たちを生かす自然との確かなつながりと感謝、畏怖・畏敬の念こそが、失われた幸福の源泉であり、人、社会、経済、地球全体を、より豊かに、健全にする鍵であると思い至りました。
消費し、所有することで豊かになるのではなく、人が自然に手を入れ、貢献することで、環境が再生し、その再生された自然から、健康や幸福という恩恵――Graceが返ってくる。
そのような地球再生型資本主義の上に社会が成り立てば、豊かさと幸せは比例していきます。
AIが人の知的作業を代替し、人の頭脳を凌駕し始めた今、高めるべき人固有の知性は、情報処理の速さや記憶力ではなくなりました。
私は、人がAIと自然と共に豊かに生きるために、3つの知性が必要だと考えています。
1つ目の知性が、身体知性。
頭だけで世界を理解するのではなく、身体を通して世界を経験し、感受し、応答する力です。
2つ目の知性が、畏敬知性。
身体を使って自然に触れたとき、人は、自分を超えた生命の偉大さに出会います。畏怖・畏敬の念、感謝が生まれることで、自然を支配や利用の対象としてではなく、自分を生かしている大きな生命の網の目として関係し直すことができます。世界に対しての振る舞い方を決める知性です。
3つ目、第三の知性が、統合知性。
人、AI、自然をバラバラに捉えるのではなく、身体知性と畏敬知性を土台に、それらを生命圏全体の健やかさへ向けて結び直す知性です。AIは情報を処理し、生態系は生命を循環させ、人は身体で感じ、畏敬をもって判断する。この3つを結び、行動へ移す力が、統合知性です。
そうした知性を獲得するための最初のステップが、「土に触れる」ことです。
本書は、医師であり、実践者である私が、テクノロジーが加速度的に進化する時代に、薬の代わりに1枚の処方箋を発行するものです。
身体を使って、土に触れ、水とつながり直すこと。
身体で経験し、大いなる生命としての自分を取り戻すこと。
環境に手を入れて、貢献すること。
そして、恩恵をいただくこと。
これが、本書の処方箋です。
都市の暮らしの中でできることから、地域に根ざした実践まで、たっぷりとお伝えします。
2026年初夏 鳥取県奥大山にて 桐村里紗
土に触れる人はなぜ健康になるのか 目 次
はじめに 10
第1章 自然と関わる人はなぜ健康になるのか 27
内なる自然と外なる自然は一体 28
自然は生きた大きなシステム 30
日本において、人と自然の境界はあいまいだった 32
「あめつち」「山川」「草木」から「自然」へ 33
人の遺伝子に作用する環境要因「エクスポソーム」 34
人の生活習慣病と、自然環境の病は、根っこが同じ 36
自然と一体である人は幸福である 38
自然との関わりが多い人、少ない人 41
自然の定義(「狭義の自然」「二次的自然」「広義の自然」) 44
コロナ禍に移住して気づいた、都会の「人間以外の生命活動」の不在 44
田舎への移住で、難治の不眠症から解放 46
水との接続を取り戻す――源流体験が目覚めのきっかけ 48
「土から生み出せる」という自信――生きる力を取り戻す 52
自然が自信をくれる――子ども時代の体験と、意欲・関心の関係 54
自然欠乏症候群――緑地が少ない環境と精神疾患リスク 57
デジタル依存でますます自然から遠ざかる――発達の異常と身体的不調が増加 59
奪われる「冒険やチャレンジの機会」 61
過疎地の子どもたちが抱えている課題 62
子どものころからフレイル状態 64
幸福度最低ランクの日本――関係性の希薄化、孤食 66
コロナ禍と引きこもり――50人に1人という実態 68
圧倒的な自然への畏怖――「Awe」体験と健康 69
森林浴と人の健康――「森林セラピー基地」と「セラピーロード」 76
森林セラピーは免疫機能を高めストレスを軽減する 78
ハイパーソニック・サウンド――自然音の心身への影響 80
土に触れると心身ともに健康になる 82
土に触れる効果①――ストレス軽減と幸福度向上 83
土に触れる効果②――認知機能改善、動脈硬化抑制 84
土に触れる効果③――アレルギーの低減、免疫の調整 88
◇漬物の発酵のもと:ラクトバチルス・プランタルム 89
◇100%生きて腸まで届く:バチルス・コアグランス 90
◇納豆菌の仲間:バチルス・サブリティス 90
◇日本麹カビ:アスペルギルス・オリゼー 91
◇ストレス耐性を高め、免疫バランスを調整:マイコバクテリウム・バッカエ 91
「微生物―植物―人」――マイクロRNAによる、生物界を超えた情報交換 92
「医食同源」を裏付ける――マイクロRNAの健康への働き 96
自然とつながりたいという衝動「バイオフィリア」 97
都市空間の中の自然――バイオフィリックデザインで、社員のパフォーマンスがアップ 99
「生態系サービス」から「生態系グレース」へ――自然がもたらす恩恵 101
第2章 自然とつながり直す
――都市でできること、ローカルでできること 109
自然とつながり直すためのアプローチ 110
目に見えない世界への感覚を開いて、自然の怖さ、偉大さを感じる 111
《都市編》
都市の自然は足元にある――雑草は森のはじまり 113
さまざまな機能を持つ都市緑地に出かけよう――生物多様性の宝庫 114
神社の鎮守の杜(森)という装置 117
自然を神とし、祀る――世界でも注目の神道の自然観 119
水を育む「巨木や岩」を敬う――神道は自然の原理を捉えていた 121
神社合祀政策によって近代に失われたもの 122
神と仏を一体とする信仰と、寺社林 124
都市も再「野生」化できる――「Rewilded Urban(リワイルデッド・アーバン)」 126
プラネタリーヘルスな未来都市 129
都市を「森」と見立てる――生命システムとして生きる都市 131
オフィスでもできる「すき間」農園――生態系づくりのススメ 135
プランターでできる小さな拡張生態系 138
テレビ局の屋上で有用植物を栽培――都産都消の未来像 141
食べることで生態系とつながり、風土そのものとなる 144
土地の自然と食のつながりを取り戻す 147
まずは米を食べよう 149
小麦に注意した方がよい理由 152
米食の健康へのメリット 155
稲作・田んぼがもたらす多様な機能 159
DAOの仕組みで田んぼに関与しよう――人の貢献が、地球の富を増やす 162
ファッションから始まる再生――都市でできる選択 169
最も身近な環境としての衣服 170
会員が綿花から育てる仕組み――プラネタリーヘルス・ファッション 171
《ローカルを体験編》
頭を置いて、ニューツーリズムへ出かけよう 174
・エコツーリズム 175
・グリーンツーリズム/アグリツーリズム 175
・リジェネラティブツーリズム 176
自己変容をもたらす旅「トランスフォーマティブ・トラベル」――熊野三山の和合 178
SBNR(精神的豊かさを求める人たち)に広がるトランスフォーマティブ・トラベル 181
プラネタリーヘルス・ツーリズムの提案 182
大山さんのおかげ――鳥取での「流域身体化プログラム」 183
流域と一体化するプロセス――頭と身体に落とし込む 186
「ネイチャーポジティブ経営」時代の、新しい企業研修 188
全国流域ネットワークから新しい経済・社会基盤へ 190
第3章 SDGsのその先へ
――GDPを超える豊かさを経済基盤に 193
荒れ果てた森林大国――日本の現状 194
林業と森林生態系の保全を両立――橋本山 197
メガ発電建設が侵す山の禁忌 198
企業に求められる「ネイチャーポジティブ(自然再興)」とは? 200
自然とのつながりを「腑に落とす」――頭から身体へ 204
経済活動は自然資本に依存している 206
大加速する人類の経済成長と、生態系の劣化――心身の健康へも悪影響 208
自然の回復スピード以上に自然を再生できるのは人類だけ 213
持続可能性から「再生」型経済へ――人類は地球の希望であるべき 215
忘れられた地方に眠る「自然資本」の価値 218
『スモール・イズ・ビューティフル』でシューマッハーが提唱した自然資本 220
GDPでは測れない豊かさの新たな指標 222
「自然が多い」「田舎に住む」だけでは人は幸せに生きられない 226
プラネタリーヘルスという大目標 229
「やっちゃった!江府町」――自治体初のプラネタリーヘルス 233
ギブアンドギブアンドギブの精神――「大山さんのおかげ」の経済 235
名人に残る「百姓」の知恵 239
劣化する日本の里山 242
物質的豊かさを追求した時代、そして幻想の崩壊 247
都市の〝クソどうでもいい仕事〟の終焉 249
今こそ、地方の賢人の知恵を学び直すとき 251
豊かさを守る水の町・江府町の役割――「流域」という単位で考える 252
江府町でのプラネタリーヘルス・アクションから地域未来戦略へ 254
環境再生は、自己犠牲ではなく歓び――プラネタリー・ドクター、ナースのスキル 258
自分の力で土地から生み出すことで、自信が生まれ、孤独がなくなる 262
無限小と無限大をつなぐ――限界集落連合と地球再生型経済圏「nichtöne」 265
不可逆的な変容が起こる「薩摩会議」へ 268
「食べることは生きること」――子どもたち自身が料理をする保育園 270
学校・保育園をハブとする生態系をつくる 274
第4章 私たちは流域に生きている
――最新科学が再統合する人と自然 279
近代に分断した人と自然――自分を生態系という大きなシステムの一部と捉え直す 280
流域動態感受性を取り戻す 283
世界的に注目される「RYUIKI」――古来の生命圏 285
天体のリズムと人と暦――土に触れ、自然に身を投じることで取り戻す 288
遺伝子に刻まれた生命の記憶、宇宙の歴史の記憶 291
遺伝子から辿る「日本人」とは? 297
日本列島で和合した宗教と自然観 301
日本的自然観と自利利他 304
食を通じた自利利他――「アグリデントメディスン」の実践 306
終章 AI・デジタルを超える身体知
――身体という自然を育てる 309
科学技術で人と自然を一体化させる未来 310
デジタルを超えた概念「クオンタル」 312
「1」割る「2」は、ほんとうに「0・5」なのか? 314
切り分けても両方の要素を残す「切り算」、そして「動き算」「重ね算」「裏算」 317
身体知という知性に目を向ける 322
謝辞 325
【参考文献、注釈】 334
本文図版作成・キンダイ
章扉デザイン・熊谷智子